b-21 (私たちはあの世でも成長を止めることはない)

 突然マスターが現われたので、私はびっくりして、マスターの言ったことをくり返すことしかできなかった。
 「我々は肉体を必要としないですって?」
 「そのとおりだ。我々はこの地上にいる間に多くの段階を通過するのだ。赤ん坊の体を脱ぎ捨てて、子供の体になり、子供から成人へ、成人から老人へとなってゆく。老人からもう一歩進んで、肉体を脱ぎ捨て、霊界に行かぬはずがなかろう。我々はそうした道を歩んでいるのだ。我々は成長を止めることはない。我々は成長し続けるのだ。霊界へ行っても成長を続けている。我々はいろいろな発展段階を通過してゆく。我々がこちら側に来る時、肉体は燃えつきるのだ。我々は再生の段階、学びの段階、決断の段階を通り過ぎてゆく。いつどこに、どんな理由で戻るのか決断するのだ。ある者はもう戻らないことを選ぶ、すなわち他の発展段階へと進むことを選ぶのだ。彼らは霊体のままでいる……ある者は他の者より生まれ変わるまでの期間が長い。これはすべて学びと……不断の成長のためなのだ。我々の肉体はこの地上にいる間の乗り物なのである。永久に存在し続けるのは我々の霊魂なのだ」。
 声と話し方は聞き覚えがなかった。新しいマスターが話していた。しかも、きわめて重要なことを話していた。私はこうした霊的な世界のことについて、もっと知りたかった。
 「物質界における学びは霊界での学びよりも速いのですか? みんなが霊界にとどまろうとしないのは何か理由があるのですか?」
 「霊界での学びの方が物質界での学びよりずっと速い。我々は自分が学ばなければならないものを選んでいるのだ。人間関係について、もっと学ぶ必要があれば、戻ってこなければならない。そのことを学び終えた者は、もっと先へ行くのだ。霊的な世界にいる時、もしそうしたければ、物質界にいる人々といつでもコンタクトすることができる。ただ、そうしなければならない時だけだ。どうしても生きている人達に何か知らせなければならない時だけなのだ」
 「どうやって連絡するのですか? どうやってメッセージは送られるのですか?」驚いたことに、今度はキャサリンが答えた。彼女の口調は早口で確かだった。
 「時には、ある人の前に現われることもできます。……そしてこの地上にいた時と同じ姿を見せることもあります。また時にはテレパシーで連絡するだけのこともあります。メッセージは隠されていることもあります。しかし、たいていの場合、送られた人はその意味を理解できます。受け取る人にはよくわかるのです。それは心と心のコンタクトだからです」
 私はキャサリンに話しかけた。「あなたが今知っている知識や情報や知恵は、どれもとても大切なものばかりです……でもあなたが目覚めて、物質界にいる時は、なぜこうしたことを知らないのですか?」
 「多分、私が理解できないからです。私にはまだこうしたことを理解する能力がないからです」
 「では、私があなたに教えてあげることができると思います。あなたをこわがらせないように、わかりやすく」
 「はい」
 「マスターの声をあなたが聞いている時、あなたが今、私に言っているようなことをマスター達も言っているのですよ。あなたにもきっと、すばらしい知恵があるのだと思いますよ」。私は彼女がこのように超意識状態にいる時にもっている知恵のことを、もっと知りたかった。
 「はい」とだけ彼女は答えた。
 「これはあなた自身の中からきているのですか?」
 「でも、彼らが私に教えてくれたのです」と彼女はマスターを持ち上げた。
 「そうだろうね」と私も認めた。「では、こうしたことをあなたにどのように伝えれば、あなたはもっとこわがらずに、受け入れることができるのですか?」
 「あなたはもうそうしていますわ」と彼女はやさしく答えた。彼女の言っているとおりだった。彼女の恐怖心はほとんどなくなっていた。退行催眠が始まってから、彼女は信じられないほど急速に回復していた。

  ブライアン・ワイス『前世療法』、山川紘矢他訳、PHP研究所、1996、pp.169-172





  b-22 (結局人類は自らを破壊することになってしまうだろう) 

「今、何か見えますか?」と私はたずねた。
「何にも」と彼女はささやいた。
「今、休んでいるのですか?」
「ええ、……いろいろな色の宝石が……」
「宝石?」
「ええ、本当は光なんだけれど、宝石のように見えます……」
「他には?」と私はたずねた。
「えーと」と彼女は押し黙ったが、今度は大きな力強い声で語り始めた。
「言葉や考えがまわりを飛びまわっています。……共存と調和についてです。……ものごとのバランスについて……」。マスター達が近くにいるようだった。
「それは面白い。もっと知りたいから話してみてくれますか?」と私はせかせた。
「今は言葉だけが飛びかっています」と彼女は答えた。
「共存と調和という言葉?」と私は念を押してみた。次に彼女が答えた時、彼女の声は詩人のマスターの声になっていた。彼の声を再び聞けて私はぞくぞくした。
「そうだ」と彼は答えた。「すべてのことはバランスしなければならない。自然はバランスしている。動物達は調和して暮らしている。人間だけがまだ平和に生きることを学んでいないのだ。人間は自らを滅ぼそうとし続けている。そこには調和もなければ、自らが行なうことに何の計画ももっていない。自然とはかけ離れてしまっているのだ。自然はバランスしている。自然はエネルギーと生命と再生である。しかしながら、人間は破壊しているだけなのだ。人間は自然を破壊している。人間は他の人間も破壊している。結局人類は自らを破壊することになってしまうだろう」
 これは不吉な予言だった。混乱と動揺に満ちたこの世界で、この予言がすぐに実現しないことを私は祈った。「いつ人類の破滅が訪れるのですか?」と私は聞いた。
「人間が思っているより早く破滅が訪れよう。しかし自然は生き残る。植物は生き残るのだ。だが人間は生き残れない」
「その破滅を防ぐため、我々は何ができますか?」
「いいや、すべてはバランスされねばならない……」
「我々が生きているうちに破滅が来るのですか? なんとか避けることはできませんか?」
「我々が生きているうちには起こらない。破滅が起こる時、我々は別の世界、別の次元にいる。我々はそれを見ているだろう」
「人々に何か教えてあげる方法はありませんか?」と私は何か逃れられる道はないか探していた。人類存続の可能性はないのだろうか。
「それは別のレベルによってなされることなのだ。我々はそこから学ぶだろう」。私は明るい面を見ることにした。「では、私達の魂が異なる場所で成長するのですね」
「そのとおりだ。我々はもうこの地上には……、いないのだから。我々はそれを見るのだ」
「はい」と私は答えた。
「私は人々に教えてあげなくてはと思います。でもどうやって教えたらよいのでしょう。何か方法がありますか?それとも人間は自分で学ばなければならないのでしょうか?」
「すべての人に教えることはできない。破滅を止めるためにはすべての人に手を差し伸べなければならないが、お前にはできまい。止めることはできない。人は学ぶことだろう。人は進歩した時、学ぶだろう。平和というものは存在する。しかし、ここにはない。この次元にはないのだ」
「終局的には平和になるのですか?」
「そうだ。別の次元で」
「でも、それはとても遠い所のようですね」と私は文句を言った。
「人間は今、とても堕落している。……貪欲で、権力を追い求め、野心でいっぱいだ。人は愛と理解と英知を忘れている。まだまだ学ばなければならないのだ」
「そのとおりだと思います。私が何か書いて、人々を助けることができませんか?何か方法がありませんか?」
「お前はその方法を知っている。我々はお前に言う必要もない。すべては無駄なことだ。みんなあるレベルに達した時、わかるのだ。我々はみんな同じなのだ。一人の人が他の人より偉大だということはない。そしてすべて起こることは起こる。学びなのだ。……罰といってもいい」
「わかりました」と私は同意した。このレッスンはとても深遠なものだった。それを消化し、本当に自分のものとするには時間が必要だった。

  ブライアン・ワイス『前世療法』、山川紘矢他訳、PHP研究所、1996、pp.194-198





 b-23 (我々は神であり、神は我々なのである )

 「学ぶべきことが何だったかもうわかりましたか? とても大変な人生だったようですね」
 「わかりません。私はただ浮かんでいます」
 「わかった。休んでいなさい」。何分間かが沈黙のうちに過ぎた。彼女は何かに耳を傾けている様子だった。突然、彼女は話し出した。彼女の声は低くて大きかった。それはキャサリンではなかった。
 「全部で七つの界層がある。七界層だ。それぞれの界層は多くの段階で構成されている。その一つは過去を振り返るための界層である(内省の界層)。この界層では、我々は自分の考えをまとめることを許されている。今終わったばかりの人生について振り返ってみることができるのだ。もっと上のレベルにいる人々は歴史を見ることを許されている。歴史を学ぶことによって、物質界へ戻って教えることができるのだ。しかし、低いレベルにいる我々は、自分の人生を振り返ることができるだけだ。今、終わったばかりの人生を」
 「我々は支払わなければならないカルマを負っている。もし今生でこのカルマを支払わなければ、次の人生に持ち越すことになる。いつかは支払わなければならないからだ。カルマを支払うことによって我々は成長するのだ。ある魂は他の魂より成長が早い。人は肉体を持った時にだけしかカルマを返すことができない。もし何かがそのカルマを返すことを妨げると、お前は『内省の界層』へ戻らなければならない。そこでカルマを負った相手が会いに来るまで待つことになる。二つの魂が同時期に物質界に戻ることができる時に、お前達は戻ることが許されるのだ。しかし、戻る時期は自分達で決めなければならない。また、カルマを返すためにすべきことも決めて生まれるのだ。お前は他の転生のことは覚えていない。そのレベルでの魂は直前の人生のことしか記憶していないのだ。高いレベルの魂―すなわち聖人― のみが、歴史や過去のすべてのできごとを振り返ることができる。人を助け、人としての道について教えるためである」
 「霊界には七段階の界層がある。……人間が神に帰るためには、この七つの界層を通過しなくてはならない。七界層の一つは次の次元への移行の界層である。そこでお前は待つわけだ。その界層で、次の人生にどのような資質をもってゆくかが決められる。我々はみんな……何か支配的な特質をもって生まれる。それは強欲であったり、情欲であったりする。しかし、それが何であれ、自分のカルマは相手に返さなければならないのだ。その後、人はその転生の自分の特質を克服しなければならない。お前達は強欲を克服することを学ばなければならないのだ。もしそれができないと、その性質は他のものと一緒に次の人生に持ち越される。そしてその重荷は、ますます大きくなってゆくのだ。一回一回の人生でカルマを返してゆかないと、後の人生はますます困難なものとなろう。もし一つの人生でカルマを返してしまえば、次の人生はもっと容易なものとなるのだ。どんな人生を送るかは、お前は自分で選択しているのだ。だから、お前は自分の人生に一〇〇パーセント責任がある。自分で選択しているからだ」。キャサリンはこう言い終わると押し黙った。
 これは明らかに高いレベルのマスターから来たものではなかった。彼は自分のことを「低いレベルにいる我々」と言って、高いレベルにいる魂、すなわち聖人と比較している。しかし伝えられた知識はどちらも同じように明確で実際的なものであった。あと他の五つの界層とはどのような世界なのだろうか。「再生の段階」とはこの中の一つなのだろうか? また、「学びの段階」と「決定の段階」はどうなのだろう? しかし、様々な霊的界層から伝えられるメッセージは常に首尾一貫していた。伝達の語調や言いまわし、文法や言葉使いは違っていても内容は同じものだった。私は霊的な英知の全体像を習得しつつあった。この英知は、愛と希望と信頼と慈しみについて語っていた。美徳と悪徳、他人へのカルマと自分自身へのカルマを考察していた。数々の過去生とそのはざまの霊的世界のことも含まれていた。調和とバランス、愛と知恵による神秘的で喜びに満ちた神との合一への魂の成長について語っていた。
 またそれに付随して、実際的な助言もたくさんあった。忍耐と待つということの大切さ、自然のバランスの中にひそむ英知、恐怖、特に死の恐怖を取り去ることの大切さ、信頼することと許すことを学ぶ必要性、他人を批判しないことを学ぶ大切さ、他人の生命を奪わないこと、直感力の訓練とその使い方等々、そして最も重要なことは、我々が永遠の命をもっていることをしっかりと知ることだった。我々は死も生も、空間も時間も超えた存在なのだ。我々は神であり、神は我々なのだ。

  ブライアン・ワイス『前世療法』、山川紘矢他訳、PHP研究所、1996、pp.212-215





 b-24 (退行催眠で学ぶべきことをすべて学び終わった)

 しばらくぶりにもかかわらず、彼女はすぐに深い催眠状態に入った。そして大昔の過去生に、あっという間に戻っていた。
 「今いるところは、とても暑いわ」と彼女は話し始めた。
 「二人の黒人の男の人が石の壁のところに立っているのが見えます。石の壁は冷たくて、じめじめしています。二人は帽子をかぶっています。右足の足首にロープを巻いています。そのロープにはビーズや房が編み込まれています。彼らは石と粘土で貯蔵庫を作り、中に小麦を砕いた穀類を入れています。穀類は、鉄の車輪がついた荷車を使ってそこに運び込まれています。織物のマットが荷車に敷かれています。水が見えます。真青な水、誰か責任者が他の人を指揮しています。穀倉の入口には三段の階段が下りています。外には神様の像が建っています。その像は頭は鳥、体は人間の形です。その神は季節の神です。穀倉の壁はつぎめをタールでふさいであります。これは空気を遮断し、穀類を新鮮に保つためです。顔がムズムズします。……私は髪に青いビーズをつけています。小さな虫やハエが飛びまわっていて、顔や手がとてもかゆいのです。私は顔にベタベタしたものを塗って、虫やハエがこないようにしています。……それは樹液で、ひどいにおいがします。
 私の髪は編んであって、それにビーズが金の糸で編み込まれています。髪の色はまっ黒です。私は王家の一員で、何かのお祭りのためにここにいます。僧侶達に香油を塗る儀式があり、それを見るためにここに来ています。これは収穫の前の神に捧げるお祭りです。いけにえは動物だけで、人間のいけにえはありません。いけにえの動物の血が白い台からたらいの中へ流れ込んで……その血は一匹の蛇の口の中に流れ込んでいます。男達は小さな金の帽子をかぶっています。みんな黒い肌をしています。また海を越えた所から連れてこられた奴隷達もいます」
 彼女は黙りこんだ。私達は待った。五カ月前とまったく同じだった。彼女は耳をすませて何か聞いているようだった。
 「何か言っているけど、とても早くて、むつかしくて……変化とか成長とか、異なる界層だとか。気づきの界層と移行の界層があります。人はある人生を終わり、教訓を学び終わると、次の次元すなわち次の人生に進みます。私達は完全に理解しなければなりません。そうでないと次に行くことが許されません……学び終えていないので、同じ所をくり返さなくてはならないのです。私達はあらゆる面から体験しなければなりません。欲する側を学び、また与える側を学ばなければならないのです。……学ぶべきことはとてもたくさんあって、多くの精霊達が助けています。だから私達はここにいるのです。精霊達は……この界層では一体なのです」
 キャサリンは休んだ。それから、詩人のマスターの声で話し始めた。彼は私に話しかけていた。
 「我々がお前に話しかけるのもこれが最後だ。これからはお前は自分の直感で学ばなければならない」
 二、三分の後、キャサリンは今度は彼女のやさしい声に戻った。「黒い塀が見えます……中には墓石があるわ。あなたのお墓もあります」
 「僕のだって?」と私はびっくりして聞き返した。
 「ええ」
 「墓石に何て書いてあるかを読んでくれますか?」
 「名前は『ノーブル』、一六六八年−一七二四年、花が一つ刻まれています……フランスかロシアね。あなたは赤いユニフォームを着ています……馬から投げ出されました……金の指輪だわ……ライオンの頭がついている……紋章として使われていました」
 それだけだった。詩人のマスターは、もうキャサリンの催眠からは啓示は与えないと私に伝えたのだった。そして、まさにそのとおりだった。私達はもう、これ以上、セッションは行なう必要はないのだ。彼女の病気は全快し、私は退行催眠によって学ぶべきことをすべて学び終わったのだ。将来どんなことを学ぶにせよ、それは自分の直感を通して学ばなければならないのだった。

  ブライアン・ワイス『前世療法』、山川紘矢他訳、PHP研究所、1996、pp.241-244





 b-25 (人はみな平等で誰一人として他の人より偉大ではない)

 キャサリンの最後のセッションのあと何ヵ月間か、私が眠っている間に、不思議なことが起こり始めた。それはとても鮮明な夢で、その中で、私は講義に耳を傾けているか、あるいは講師に質問をしているかしていた。夢の中の講師は、フィロという名前だった。目が覚めた時、時々、夢の中で議論した内容を覚えていたので、私はそれをノートに書きとめておいた。例えばこんなふうである。最初は講義で教えられるという形だった。その内容はマスター達から伝えられたメッセージと同じだった。
 「……知恵はごくゆっくりとしか身につかない。なぜならば、短期間で簡単に得られる知的な知識が、“感覚的”あるいは潜在意識のレベルでの知識へと変えられなければならないからだ。一度この変化が起これば、この知識は永遠のものとして刻み込まれる。この変化のためには、触媒として行動が必要である。行動がなければ、単なる言葉だけの知識は枯れて色あせてゆく。実際に応用されなければ、理論的知識は何の役にも立たない」
 「バランスと調和が、現代は非常に無視されている。この二つは、すべての知恵の基本である。あらゆることが、度を越して行なわれているのが現代の姿である。食べすぎから人々は体重過多になっている。ジョギング愛好者は走りすぎて、自分や他人のことをきちんと見なくなっている。人々はあまりにも品位を失くしている。酒を飲みすぎ、たばこを吸いすぎ、騒ぎすぎ、無意味にしゃべりすぎ、心配しすぎている。何にでも白黒をつけたがりすぎる。オール・オア・ナッシングだ。だがこれは自然のあり方ではない」
 「自然はバランスしている。自然界では、動物は少しずつ殺されてゆく。自然の仕組の中では、決して大量殺りくは行なわれない。植物は動物に食べられて、再び育つ。栄養素は吸収されてから、また補充される。花を賞で、実を食べ、そして根はそのまま保存される」
 「人間はバランスを学ぼうとしなかった。ましてや、それを実行しようともしなかった。こんなやり方では、いつかは自分自身を滅ぼしてしまうだろう。しかし自然は生き残る。少なくとも植物は生き残るであろう」
 「幸せはごく普通のことの中にある。考えすぎたり、動きすぎると、幸せはどこかへ行ってしまうのだ。何ごとも度が過ぎると、何が本当に大切なのか、わからなくなってしまう。宗教家達は、幸せは愛に満ちた心と、信心と、希望、そして善行と人に親切にすることによって実現すると説いている。これは、確かな事実である。このような生き方をすれば、バランスと調和は大体は実現することだろう。それがすべてのものと一体化した状態なのだ。今日では、それは、もう一つの意識の状態と言われている。人間が地上で生活している間は、こうした自然の状態にいないかのように見える。愛と慈悲と誠実で自らを満たし、清らかな己れを感じ、病的な恐れを取り去るために、人はこのもう一つの意識に到達することが大切である」
 「このもう一つの意識の状態、つまり、別の価値観の世界に到達するにはどうすればよいのだろうか?一度この状態に達したら、その状態をどのように保ってゆけばよいのだろうか? 答えはとても簡単そうに見える。しかもどの宗教でも同じように言っている。人は死なないということがわかることだ。今、私達が生きていることは、私達の学びそのものなのである。私達は今、学校で学んでいるのだ。己れの不滅さえ理解できれば、こんなに簡単なことはない」
 「人の命が永遠であることは、たくさんの証拠もあり、またこの思想は長い歴史をもっている。それなのに、私達人間は、自分自身に対し、なぜこんなにひどいことばかりしてきたのだろうか? 自分が得するために、他人を踏みつけにするようなことを、どうして私達はやっているのだろう。そんなことをすれば、試験に落ちるだけなのだ。人はそれぞれ、早さは違っていても、結局はみんな同じ場所に行き着くのだ。誰一人として、他の人より偉いということはない。人はみな平等である」
 「今まで学んだことをよく考えてみなさい。頭の中ではすでに答えはわかっているけれど、その答えを体験によって具体化する必要がある。概念を感情として味わい、何回も実際に反復練習することによって、潜在意識のレベルに永久にすり込むことがすべての鍵なのだ。日曜学校で教えられたことを暗記するだけでは十分ではない。行動の伴わない口先だけの話は何の価値ももたないのだから」
 「愛について、慈悲について、信仰について読んだり話したりするのは簡単だ。しかし、それを実際に行ない感じるためには、ほとんどの場合、もう一つの意識のレベルに達する必要がある。これは薬やアルコール、または異常な感情の高まりなどによって引き起こされる一時的な意識状態とは違うものである。もっと恒常的なもので、知識と理解によって到達できる状態なのである。そしてそれは実際の具体的な行為と実行によって実現されるものなのだ。それにはほとんど神秘的な何か(例えば精霊に導かれているという感覚など)が必要であり、日常のレベルのごくあたり前の生活態度にまでもってゆくことが大切である」
 「誰一人、他の人より偉大な人はいない、すべての人は平等であるということを理解しなさい。またそう感じなさい。他の人々を助けなさい。我々はみな同じ一つの船を漕いでいる仲間同士なのだ。協力してオールを引かなかったら、この世は恐ろしく孤独な場所になってしまうだろう」
 また別の夜、私は夢の中で問いかけていた。
 「あなたはいつも、すべての人は平等だと言っていますが、それは明らかに事実と相反していると思います。徳の高さ、自制心、財産、権利、能力、才能、知識、数学の実力など、どれも不平等ではないですか?」
 答えはたとえ話で返ってきた。
 「それはいわば大きなダイヤモンドが、それぞれの人の内に見つけられなければならないということなのだ。直径が三〇センチメートルの大きさのダイヤモンドを想像してみなさい。そのダイヤモンドには一千個の面があるが、そのどれも、泥や油にまみれている。一つひとつの面がキラキラと輝き出し、虹の光を反射するようになるまで磨いてゆくのが、魂の仕事なのだ」
 「今、ある人々は、己れのダイヤモンドの面をきれいに磨いて、キラキラと輝いている。またほんの少しの面をやっと磨いただけの人もいる。そのためにまだあまり輝いてはいない。しかし、どの人もその胸に一千個の輝く面をもつダイヤモンドを持っているのだ。そのダイヤモンドはどれも完全で一つの傷もない。人々の間の差は、ただどれくらいの面をすでにきれいにしたかということだけなのだ。しかし、どのダイヤモンドもすべて同じで、しかもすべてが完壁なのだ」
 「すべての面が美しく磨きあげられ、虹の光の中で輝いている時、ダイヤモンドは本来の純粋エネルギーへと戻ってゆく。光だけが残る。それはまさに、ダイヤモンドが作られるまったく逆のプロセスであり、すべての圧迫が解放されるのだ。純粋エネルギーは光の七色の中に存在する。そして光は意識と知恵をもっている」
 「そしてすべてのダイヤモンドは完全である」

  ブライアン・ワイス『前世療法』、山川紘矢他訳、PHP研究所、1996、pp.255-260





 b-26 (キュブラー・ロス博士が亡くなった患者と交わした会話)

 ジョイが亡くなってから、マギーは夢を見た。「でも、ただの夢じゃありませんでした。あまにもリアルで、実際に起きたこととしか思われませんでしたから」そう言って、こんな話をはじめた。

 クリスマスのすぐあとで、娘が亡くなってから一年あまりたったころです。私は相変わらずふさぎ込んでいて、その晩も泣きながら寝入ってしまったんです。
 すると、ジョイが帰って来た夢を見ました。低く張り出した木の枝に、私と一緒に腰かけているんです。あたり一面に明るい光が降りそそいでいて、何もかも、すばらしく色あざやか。木も、緑の草も、青空も、もう本当にまぶしいくらい。
 娘は幸せそうでした。淡いピンクの透き通るようなドレス。袖が長い、薄地のひらひらしたドレスで、腰にサッシュがついているんです。生前、そんなものは着たことがありません。
 私のとなりに座ると、私に抱きついてきて、左の胸に顔を押し当ててきました。体の重みも感じたし、はっきり手ごたえもありました。
 それから、「あたし、もう行かなくちゃならないの。でも、また戻って来られるわ」と言うんです。そしてふわっと漂うように離れて行ったかと思うと、また戻って来て元の枝に腰掛けました。ちょうどこんなふうにね、とでもいうかのように。本当に別れてしまうわけじゃないんだから、そんなに悲しまなくていいのよって、教えてくれていたんですね。
 ジョイは励ましてくれたんです。自分は幸せだから、ママも幸せになってほしい、って。私たちはまた抱き合って、しばらくそうしていました。でもすぐに、あの子は行かなければなりませんでした。
 目覚めたとき、とても気持ちがやすらいでいました。本当に、あの子と一緒にいたような気がして。そのときからでした、だんだん元気が出て、くよくよしなくなったのは。あれは、あの子も行かなきゃならなかったし、私も自分の人生を取り戻すべきときだったんですね。

 マギーが他界した娘とそんな素敵な体験をして、元気を取り戻したことを聞き、その場の誰もが、とても明るい気分になった。彼女が、悲惨な出来事が起きてから、そのときはじめて深く癒されたことがよくわかった。彼女がその体験を「夢」と呼んだから、私(ビル・グッゲンハイム)もそれは夢だと思った。人はどき、生々しい夢を見るものだ。だが私にとって夢とは、潜在意識の産物以外の何ものでもなかった。
 ところが、マギーの話はそれで終わりではなかった。十七歳の息子のボブも、ジョイに会うという体験をしていたというのだ。

 私の体験より前のことで、ジョイが亡くなってから半年と少したったころです。そのころ、誰より苦しんでいたのが、息子のボブでした。ジョイは、年子の妹でしたから。
 息子は、妹がいなくなったのに耐えられなかったんです。学校一の人気者だったのに、いつのまにか孤独な子になってしまい、友だちも一人か二人だけになりました。家に帰って来ると、口癖のように言うんです、「あーあ、最悪だぜ」って。
 その晩、ボブは自分の部屋で勉強していて、私たち夫婦は居間でテレビを見ていました。
 そこへとつぜん、彼が大声を上げて駆け込んで来たんです。ママ大変だ! ジョイが来た!」
 それから、こんな話をしてくれました。
 ボブは、本を読んでいたけれど、本当に集中していたわけじゃなかったそうです。そしてふと目を上げると、クローゼットの前にジョイが立っていたというんです。
 ジョイは髪型は同じでしたけど、見慣れない縞のTシャツを着て、ジーンズをはいていた。何も話はしませんでした。でもジョイの顔は、「あたしは元気でやってるから、何も、心配しないで」って言ってるみたいだったそうです。
 ボブはあまりのことに、何分間かは身動き一つできず、声も出ませんでした。はっとわれに返って立ち上がったときには、ジョイはもういなかったそうです。そのとき悲鳴を上げて、私たちのところへ駆け込んで来たというわけです。

 そんなことが、本当に起きたんだろうか? 起こりうるんだろうか? この二十世紀のアメリカの中西部で、車に撥ねられて他界した十五歳の少女が兄に会いにやって来るなんてことが? 一瞬そんな考えが頭をよぎったが、すぐに「そんなこと起こりっこない」と思い直した。彼が見たものは、妹を失った悲しみや、もう一度会いたいという願いがこうじての、あるいは想像力が過剰に働いたあげくの幻覚にちがいない。「死んだらおしまい、それっきりさ」私は、そう思い返した。
 すると、エリザベス(キュブラー・ロス博士)は前にも同じような体験談を聞いたことがあると言った。そしてその二日後、こんどはエリザベスが自分自身の体験を語ってくれた。

 そのころ、分かれ道に立っていたんです。亡くなっていく患者さんを看取る仕事は、もうやめたほうがいいという気がしていましてね。その日は病院とシカゴ大学に届けを出して、やめる決心を固めていました。そりゃあつらい決断でしたよ、患者さんたちを、心から大切に思っていましたから。
 「死と、死を迎えること」についての最後のセミナーを終えて、エレベータのほうへ歩いて行くと、女の人がこっちへ向かって来るんです。何ともいえない微笑みを浮かべていて、まるで私の胸の内を、すっかり見透かされているみたいな気がしましたよ。
 「ロス先生、ほんの二、三分だけお時間をいただけませんか。よろしければオフィスまでご一緒させてください」とその人は言いました。その道のりを、あれほど長く感じたことはありません。私は頭の片隅で、「これはジョンソン夫人だわ」と思いました。私の患者だった人で、一年も前に亡くなって埋葬された人です。だけど、私は科学者です。幽霊やお化けを信じるわけにはいきません。
 そこで、自分の頭が確かなのかどうか、この事態が現実なのかどうか、確かめてみたんです。もちろん、そんなことしたのははじめてですよ。その人にさわってみました。だって何だか透けるような、蝋細工みたいな感じがしましたから。向こう側の家具が透けて見えるというほどじゃないけど、やっぱりちゃんとした人間の体とは違いましたから。確かにさわりました。手ごたえも、ちゃんとありました。
 オフィスに着くと、彼女がドアをあけました。中に入ると、こう言うんです。「戻ってきた理由は二つあります。一つは、先生とスミス牧師にお礼を申し上げたくで。ずいぶんとよくしていただきましたもの。でも本当の理由は、『死と、死を迎えること』についてのお仕事をやめないでと申し上げたかったからなんです。まだやめてはいけません」
 たぶんこれは、本当にジョンソンさんなんだ――そうはっきり感じました。でもこんなこと、人に話したって信じてもらえないだろうな、と思いました。あの人もいよいよおかしくなったと、みんな本気で思うでしょう。
 そこで科学者のほうの私は、抜け目なく彼女を観察しながら、こう切り出したんです。「そうねえ、あなたから何かひと言いただけたら、スミス牧師はきっと大事びなさるわ。ちょっと書いていただけない?」科学者は、証拠がほしいというわけです。直筆で何か書いてもらい、できればサインもほしかったんです。
 私の考えていることも、牧師に手紙を渡すつもりなどないことも、その人には全部わかっていたでしょう。でも紙を手にすると、メッセージを書きつけ、フルネームでサインもしてくれました。そして何ともいえない、やさしい、思いやりと理解に満ちた微笑みを顔いっぱいに浮かべて、「これでご満足?」と。
 その人は、重ねて言いました。「『死と、死を迎えること』についてのお仕事は、まだやめてはいけません。まだその時期ではないのです。私たちもお手伝いしますから。いつやめていいかは、そのときが来ればわかります。お約束していただけますね」
 「約束します」と、私は思わず答えていました。それを聞くと、その人は出ていきました。
 ドアが閉まるが早いか、彼女が本当にここにいたのかどうかを、確かめに行かずにはいられませんんでした。でもドアをあけたとき、そこには誰もいなかったんです。ただ、長い廊下が伸びているだけでした。

 エリザベスの話がすんだとき、私たちは言葉を失っていた。部屋は水を打ったように静まり返り、たとえ針一本落としても、コンクリートの床に金てこが落ちたみたいに響きわたったことだろう。
 そんなことが本当に現実に起きたことなんだろうか? もしかしてほかの人のところにも、死んで永遠にいなくなったはずの人が、本当に訪ねて来たりしているんだろうか? もしそうなら、それは大変なことだ!
 エリザベスの話は、私が知り、理解していること、死と死後の生命について真実だと考えていることのすべてと、真っ向から対立するものだった。おかげで私は、それまで信じてきたことを、ことごとく再検討せざるをえなくなった。数え切れないほどの疑問が、論理的な説明を求めて頭の中を駆けめぐった。しかし、答は何も見つからないとわかって、ついに私の理性は「揺らいで」いった。

    ビル&ジュディ・グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』
       片山陽子訳(飯田文彦編)、徳間書店、1999、pp.20-25





 b-27 (亡くなった祖母から伝えられた母への伝言)

 ペギーは五十歳。アーカンソー州で新聞記者をしている。老衰で亡くなった祖母から、伝言を頼まれた。

 祖母は、自分の妹と一緒に暮らすと言ってききませんでした。二人とも、もう九十を超えていたんですけどね。でも自分たちだけじゃついにどうにもならなくなって、母が二人を引き取ったんです。母は、そりゃあよく面倒を見ていましたよ。
 だけど祖母は、亡くなる半年くらい前から、不平ばっかり言うようになりました。あらゆることが気に入らないのです。食べるものも、着るものも、何もかも。母は疲れはててしまって、もうとてもおばあちゃんの世話はできない、ってことになりました。そのため、仕方なく老人ホームに入れたら、そのひと月後に亡くなってしまったんです。
 亡くなったつぎの日、祖母が私のところにあらわれました。居間に座っていたら、ふいに祖母の気配にすっぽりと包み込まれました。まるでピンクの雲に包まれたみたいで、なんともいえない、いい気分でした。
 祖母はテレパシーで、こう言うんです。
 「お母さんに伝えてちょうだい、世話をかけてすまなかったね、って。生きているあいだにはとうとう言えなかったけど、いつも心からありがたいと思っていたのよ。だからあんたから、そう伝えてちょうだい」
 おばあちゃんて、なんてかわいい人! まるで別人みたいでした。私たちの知ってるあの人は、いつもこっちが痛いだのあっちがつらいだのと文句ばっかりで、何をしてあげても、うれしい顔ひとつしませんでした。でも体から抜け出してみると、まったく違う人だったんですね。
 祖母に言われたことを、その言葉どおり母に伝えました。母も、涙をぽろぽろこぼしていましたよ。

    ビル&ジュディ・グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』
      片山陽子訳(飯田文彦編)、徳間書店、1999、pp.54-55





 b-28 (甘いライラックの香りのなかで聞こえてきた母のことば)

 (フロリダ州でカウンセラーをしている四十歳のナタリーは、生前アルツハイマー病にかかっていた母親と、つぎのような驚くべき体験をしている。)

 日本にいて、ホテルで寝ていたんです。夜中の三時ごろでした。甘いライラックの香りが流れてきて、びっくりして目が覚めました。うっとりするような香りが、部屋じゅうにたちこめているんです。深い愛と温かさに包まれたような気がして、それからまたぐっすり寝入ってしまいました。
 三時間後、電話が鳴りました。アメリカの夫からでした。老人ホームから、母が亡くなったという電話があったというんです。時差を計算すると、母がコネチカットで亡くなったのは、日本のちょうど午前三時でした。
 泣いていると、またライラックの香りが漂ってきました。母はライラックの花が大好きでした。そのとき気づいたんです。母がその部屋に来ている、って。「お母さん、お母さんでしょう? ごめんなさいね、ついていてあげられなくて。一人で死なせちゃって、本当にごめんなさいね」と泣きながら言うと、母はこう言いました。
 「わかっているわよ。大丈夫、何も心配いらないわ。泣かなくていいのよ。こっちは、とてもいいところなんだから」

    ビル&ジュディ・グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』
      片山陽子訳(飯田文彦編)、徳間書店、1999、pp.85-86





 b-29 (庭に明るい光が現れて亡くなった母からの声を聞く)

 (サウスカロライナ州でイベントのコーディネーターをしているエドナも、六十六歳の母親をがんで失ったとき、明るい光を見ている。)

 母が亡くなって二、三時間たったとき、一人になりたくなって庭へ出て行きました。そしたらふいに、とてつもなく明るい光があらわれたんです。直径一メートルくらいの光が、地面から一メートルとちょっとくらいのところに浮かんでいるんですよ。特別のかたちをしていたわけじゃありません。でも母だって、すぐにわかりました。母は、こう言いました。
 「エドナ、かわいいエドナ。お母さんはもうすっかり元気よ。あなたもすぐ元気になるわ。ここは、とても美しいところなの。このうえなく幸せだわ。だって、本当のお家に帰ったんですもの」
 私が「よかったわね」と言うと、母はまた、「お父さんを大事にしてあげてね」と。その当時、父も末期のがんでした。
 「お父さんはもうここの人じゃない。お母さんと同じ、その素晴らしい場所の人なのよ。あたしだって、もうここにはいたくないわ。お母さんのところへ行って、幸せになりたいの」
 そう私は訴えました。すると母は、こんなことを言うんです。
 「あなたはまだ、そのときじゃないわ。まだ、そちらでの仕事が終わってないもの。あなたはそこに残って、一瞬一瞬を精一杯に生きなければならないの。美しい地上に生きるという贈り物を、味わわなければならないのよ。
 これだけは、言い残しておくわね。夕日も花も大切な人も、一つひとつ、喜びをもって見つめなさい。そして、ほかの人にも、その喜びを、教えてあげなさい。愛を注いであげなさい。愛は、ほかの何より大切なものだから」
 そして、「母さんは、いつもあなたのそばにいるわよ」と言うと、ふっと消えてしまいました。
 あんな途方もない体験は、生まれてはじめてでした。

     ビル&ジュディ・グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』
       片山陽子訳(飯田文彦編)、徳間書店、1999、pp.92-93





 b-30 (亡くなった息子と姪は元気そのもので顔が輝いていた)

 (アラバマ州の主婦ヘレンは、沿岸警備隊員だった二十七歳の息子アダムをヘリコプターの墜落事故で失い、その5ヵ月後、二十歳の姪のジェシカを自動車事故で失った。)

 アダムが亡くなったあと、私は何かしていなきゃいけない気がして、せっせと仕事をしていたんです。もちろん、何の喜びもありませんでしたよ。毎日皿を洗い、ベッドを直して、見かけはふつうに暮らしていたんですけどね。心の中は空っぽ。ぽっかり穴があいたままでした。
 息子が他界して十ヵ月ほどたったころ、午後、寝室にコーヒーをもっていって、寝そべってラジオを聴いていたら、いきなりアダムと姪のジェシカがあらわれたんですよ。私の目の前に、二人で手をつないで立っているんです。
 二人とも元気そのもので、顔が輝いていましたよ。体はちゃんと中身があるみたいに見えたし、足元まである長い白いローブを着て、体のまわりがほのかに光っているんです。とっても穏やかで、幸せそうな顔をしていましたね。まぶしいほどでした。
 アダムはこう言うんです。
 「母さん、母さんのこと、愛しているよ。ぼくは元気で、幸せにやっている。それに、いつか母さんとも一緒になれる。だから頼むよ、もう悲しまないで。ぼくを自由にしてほしい。行かせてほしいんだ」
 ジェシカも言いました。
 「ヘレンおばさん、うちのお母さんに、あたしのことで泣かないで、って言ってください。あたしは幸せだし、それに、もともとこうなることになってたんだから、って」それだけ言うと、二人は消えてしまいました。
 そのときからですよ、息子のことを放っておけるようになったのは。私はアダムを、手放したんです。思い出や愛情は別ですけど。あの出来事のおかげで、アダムはもうこの地上には、いないけど、ほんの一歩離れたところにいるってことが、よくわかりました。おかげで私の生き方も、体の調子も、前よりずっとよくなりましたよ。

  ビル&ジュディ・グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』
    片山陽子訳(飯田文彦編)、徳間書店、1999、pp.107-108





 b-31 (脳卒中で亡くなった母が目の前に現れる)

 (ユタ州の主婦ハンナは、八十二歳の母親を脳卒中で失ってから六週間後、こんな情愛に満ちた再会をした。)

 ある晩、眠れないので夜中に起き出して、家の中の雑用をちょっとやって、そのあと居間のソファで母のことを考えていました。母の面倒を見られなくなって、何か大事なものをなくしたみたいな気持ちでした。
 そのとき、だしぬけに母が部屋へ入って来たんです。何よりびっくりしたのは、母がふつうに歩いていることです。十年前、母はひざの上で両脚を切断してるんです。
 脚があったんですよ、両方とも。私のほうへまっすぐ歩いてきて、厚く詰め物をしたソファのアームに腰かけて、私の肩に腕をまわしてこう言うんです。「ハンナ、あなたはまるで天使だったわ。だけどもう悲しまないで。あたしのことで泣かないで」って。
 体のまわりが光っていました。幸せそうな顔でした。それから立って、ソファの反対側にまわって、「大丈夫よ、あたしは幸せなんだから。それを忘れないでね」と言うと、私の頬にキスをして行ってしまったんです。
 実際の出来事としか思えません。肩を抱かれたときとか、唇を頬に押し当てられたときの感触も、はっきりありましたから。私たちはずっと、特別な愛情で結ばれているんだ、って気がしました。
 これは、私にとってとても大事な出来事ですから、いままで人に話したことはありません。

   ビル&ジュディ・グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』
    片山陽子訳(飯田文彦編)、徳間書店、1999、pp.109-110





 b-32 (亡くなった父が現れて死後の生を確信する)   2017.07.07

 (ノースカロライナ州で不動産の仲介をしているリチャードは、脳卒中のために六十六歳で亡くなった父親とこんなコミュニケーションを体験し、深い確信を得た。)

 埋葬した三日後でした。誰かに起こされて、「一体誰だよ」と思って体を起こしてみたら、 なんと親父なんですよ。ぼくの後ろの窓から外の街灯の光が射し込んでいて、顔に当たっていたからとてもよく見えました。まちがいなく父でしたよ。
 「リチャード」と呼ぶのも、まちがいなく父の声。ベッドから出ると、すぐ握手されました。それだってなつかしい、あったかい親父の手でしたよ。
 「リチャード、会えてうれしいよ。何も心配することはないからな。おまえを愛しているよ」と言われました。その声は外から、つまり父の唇から聞こえてきました。いつもより、もっとはっきりした声でした。
 父の顔から、目が離せませんでした。あんないい男だったとは、知りませんでした。髪も白髪じゃなくて黒々しているし、肌もつやつや。惚れぼれするような男っぷりなんですよ。
 満ち足りた、幸せそうな笑顔を浮かべていましたね。ぼくの想像もつかないような、すばらしい何かがあるみたいでした。気がつくと、もういませんでした。
 そりゃあ驚きました。でも、うれしかったですよ。先立たれて、すごくまいってましたから。あの出来事で、死後の生があるということを確信できました。あれは実際にあったことです。ぼくはこれっぽちも疑ってません。

   ビル&ジュディ・グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』
     片山陽子訳(飯田文彦編)、徳間書店、1999、pp.110-111





 b-33 (アトランタ空港のロビーで本を読んでいたら)

 (タンヤは、テキサス州でコンピュータのシステム管理の仕事についている。このありがたい体験をしたのは、親友のジーナが自動車事故のために三十歳で亡くなってから、約一年後のことだ。)

 アトランタ空港で、サンフランシスコへ行く乗り継ぎの便を待っていたときよ。ラウンジで時間つぶしに本を読んでいたら、ホワイト・ショルダーの香りが漂って来たの。ジーナがいつもつけていたオーデコロンよ。
 目を上げると、彼女が、私と同じテーブルに座っているじゃないの。くつろいだようすで、相変わらず美人。最後に会ったときと、少しも変わっていなかった。何年か前に私があげた、赤とチャコールグレーの格子柄のシャツを着ていたわ。
 「ジーナ、なんでこんなところにいるの?」と、思わず聞いてしまったの。そしたら彼女、にっこりして、「あなたに会いに来たのよ」って。ふと下を見ると、彼女の手がほんのしばらく私の手に重なったのよ。ちゃんと感触のある、あったかい手だったわ。私が言葉に詰まっていると、彼女、こう言うの。
 「もっと気楽にやんなさいよ。あたしはあんたに幸せになってほしいの。あたしが死んだことで、くよくよするのはもうやめて。あたしは元気にやってるんだから。だけどもう会いに来ることもないだろうから、一つだけ言っとくけど、みのまわりをきちんと整理しておくことは大切よ、わかったわね」
 そう言うと彼女はふっと消えてしまったの。私はもう呆然として、しばらくは立ち上がることもできなかったわ。
 ジーナは急に死んだから、いろいろ後始末が大変だったの。何がなんだかわからなくて。だから、その教訓を生かしてほしかったんじゃないかしら。おかげでそれ以来、お金のことも、暮らしのことも、きちんとしておくように心がけているのよ。

    ビル&ジュディ・グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』
      片山陽子訳(飯田文彦編)、徳間書店、1999、pp.114-115





 b-34 (他界して半年後に寝室に現れた母に抱きしめられる)

 (この報告は、ブリティッシュコロンビア州に住む法定免許をもつ機械工、四十四歳の レナードからだ。長わずらいの末に他界した母親が訪ねて来たとき、彼はうれしさで天にものぼる心地だった。)

 おふくろが亡くなってから、半年ほどたったころだ。ある晩眠っていると、夜中に「ねえ、ちょっと」と声をかけられて目が覚めた。見ると、部屋の中で何かが光っている。
 ベッドの向こうに、薄い蒸気か霧の幕のようなものが白く光ってるんだ。何となく人のかたちのようだった。それがこっちへ近づいてくるにつれて、みるみるはっきりしてきた。かたちも大きさも、歩き方までわかるようになって、とうとう、それはおふくろだってわかったんだよ。
 さらに三歩こっちへ来ると、もうモヤモヤしたところはまったくなくなった。ぼくもベッドから出てそっちへ歩いて行ったから、ちょうど部屋の真ん中で向かい合う格好になった。うれしくて、「母さん・・・・・・」と言っただけで言葉が出なかったよ。
 おふくろは、ささやくような声で返事をしてくれた。とてもきれいな顔だったし、健康そうで上機嫌で、おっとりと落ち着いていた。目がやさしくて、あったかかった。ほっぺたは、ふっくらしてバラ色。歳よりずっと若く見えたし、髪だって少し黒くなっていたかもしれないね。
 抱き合ったときは、ほんとに燃え尽きてしまうほどうれしかった。すっぽり包まれるような温かさ、そしてあの一体感。天にものぼる気持ちだったよ。息子が生まれたときより、もっとうれしかったくらいだ。愛が通い合った。生涯最高の抱擁だよ、あれは。
 ちゃんと手ごたえのある固い体で、まるで生きているみたいだった。背たけも肉付きも、生前と同じ。相変わらず大きくて、あったかくておおらかで、包み込むようなやさしさも、ちっとも変わっていなかった。
 子どものころと、まったく同じことをしてくれた。ぼくを抱きしめながら、うなじをさすり、頬を撫でて、頭のてっぺんに手をのせてくれた。いつもほのかな香りのする人だったけど、やっぱり同じ香りがしたよ。
 それからおふくろは、ぼくの体に腕をまわしたまま、少しだけ身を引いて、こう言ったんだ。
 「幸せになってね、レナード。幸せになるのよ」
 おふくろはいつも、ぼくたちみんなの幸せを願ってたからね。そのあと、にっこり笑ってくれたかと思うと、ぼくの目の前でふっと消えてしまったんだ。
 貴重な、すばらしい体験だった。夢や、気のせいなんかであるもんか。おふくろは、本当に戻って来たんだよ。「向こうは万事申し分ないところだしって、ぼくに言いたかったんだよ。
 それに、そういうことを知りたがっているほかの人にも、教えたかったんだよ。

    ビル&ジュディ・グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』
      片山陽子訳(飯田文彦編)、徳間書店、1999、pp.115-117





 b-35 (轢き逃げされて亡くなった子から伝えられたこと)

 (エディは南東部のホスピスで、牧師の仕事のかたわら、死別体験のカウンセリングもしている。十四歳の継子マイケルは、自転車に乗っていて轢き逃げにあい、命を奪われた。それから間もなく、彼女は新しい理解に至る。)

 家族と一緒に葬儀場のお別れの部屋へ行って、マイケルの枢の前に立ったときです。心の中でお祈りを唱えていたら、私の真ん前の、目の高さより少し上のあたりに、とつぜん映画のひとコマみたいなものがあらわれたんです。目はあけていましたよ。
 美しい緑の草原が波打つように広がっていて、花が咲いて、小鳥が遊んで、蝶が舞っています。明るい光が降り注いでいて、何とも色あざやかな生きいきした光景なんです。そこでなんとマイケルが、スキップしたり走り回ったりしているんですよ。立ち止まって、私を見て、うれしそうににっこり笑うんです。
 目をきらきらさせて、幸せそのものの笑顔でした。元気そうで、楽しそうで、もう痛がったりしていませんでした。愛に包まれているようで、怒りや苦痛のかげはどこにもありませんでした。
 私に「もう平気だよ。心配しなくていいよ」って言って、それから身振り手振りで、「この体のことで悲しまなくていい。柩の中にいるのはぼくじゃないんだから。ぼくはここにいるんだから」と伝えできました。まばたきしてみたけど、彼はまだそこに立っていました。でも、やがて薄れて消えていきました。
 もう一度柩の中を見ると、その体が空っぽのお堂だってことが、よくわかりました。あの子がしばらく住んでたとこだったけど、いまはもうそこにはいないんだ、って。
 部屋を出るとき、足どりが軽くなったような気がしましたよ。まるで、肩の荷を降ろしたみたいに。マイケルが元気にしてるってことに、もう何の疑問もありませんでしたから。

   ビル&ジュディ・グッゲンハイム『生きがいのメッセージ』
     片山陽子訳(飯田文彦編)、徳間書店、1999、pp.121-122





  b-36 (かつては牧師であった者が霊界から死の実相を伝える)

 (ここに紹介するのは、実際に死を体験して霊界入りした者が、その体験を霊媒を通じて報告してきた、いわゆる霊界通信である。霊媒はロングリー夫人で、通信霊はジョン・ピアボント。ロングリー夫人の指導霊である。)

 みずから死を体験し、また何十人もの人間の死の現場に臨んで実地に観察した者として、更にまたその「死」の問題について数えきれないほど先輩霊の証言を聞いてきた者として、通信者である私は、「肉体から離れて行く時の感じはどんなものか」という重大な質問に答える十分な資格があると信じる。いよいよ死期が近づいた人間が断末魔の発作に見舞われるのを目のあたりにして、さぞ痛かろう、さぞ苦しかろうと思われるかも知れないが、霊そのものはむしろ平静で落ち着き、身体はラクな感じを覚えているものである。もちろん例外はある。が、永年病床にあって他界する場合、あるいは老衰によって他界する場合、そのほか大抵の場合は、その死に至るまでに肉体的な機能を使い果たしているために、大した苦痛を感じることなく、同時に霊そのものも恐怖心や苦痛をある程度超越するまでに進化をとげているものである。
 苦悩にうちひしがれ、精神的暗黒の中で死を迎えた人でも、その死の過程の間だけは苦悩も、そして自分が死につつある事実も意識しないものである。断末魔の苦しみの中で、未知の世界へ落ち行く恐怖におののきながら「助けてくれ」と叫びつつ息を引き取っていくシーン。あれはドラマとフィクションの世界だけの話である。(中略)
 中には自分が死につつあることを意識する人もいるかも知れない。が、たとえ意識しても、一般的に言ってそのことに無関心であって、恐れたりあわてたりすることはない。というのは、死の過程の中ではそうした感情が薄ぼんやりとしているからである。(中略)意識の中枢である霊的本性はむしろ喜びに満ちあふれ、苦痛も恐怖心も超越してしまっている。
 いずれにしても霊がすっかり肉体から離脱し、置かれた状態や環境を正常に意識するようになる頃には、早くも新しい世界での旅立ちを始めている。その旅が明るいものであるか暗いものであるかは人によって異なるが、いずれにしても物質界から霊界への単なる移行としての死は、本人の意識の中には既に無い。
 かつては地上の人間の一人であり、今は霊となった私、ジョン・ピアボント。かつては学生であり、教師であり、ユニテリアン派の牧師であり、そして永年自他共に認めたスピリチユアリストであった私が、霊界側から見た人生体験の価値ある証言の一環として、いま「死」について地上の人々にお伝えしているのである。八〇年余にわたってピアボントという名のもとに肉体に宿っていた私は、その七〇年余りを深い思索に費やした。(中略)
 以前私は、自分が老いた身体から脱け出る時の感じをこの霊媒を通じて述べたが、その時の感じは喜びと無限の静けさであることをここで付け加えたい。家族の者は私があたかも深い眠りに落ちたような表情で冷たくなっているのを発見した。事実私は睡眠中に他界したのである。肉体と霊体を結ぶ磁気性のコードが既にやせ細っていたために、霊体を肉体へ引き戻すことができなかったのである。が、その時私は無感覚だったわけでもなく、その場にいなかったわけでもない。私はすぐそばにいて美しい死の過程を観察しながら、その感じを味わった。(中略)自分が住み慣れたアパートにいること、お気に入りの安楽椅子に静かに横たわっていること、そして、いよいよ死期が到来したということ、こうしたことがみな判った。(中略)
 私の注意は、いまだに私を肉体につないでいるコードに、しばし、引きつけられた。私自身は既に霊体の中にいた。脱け出た肉体にどこか似ている。が、肉体よりも強そうだし、軽くて若々しくて居心地がよい。が、細いコードはもはや霊体を肉体へ引き戻す力を失ってしまっていた。
 私の目には光の紐のように見えた。私は、これはもはや霊体の一部となるべきエーテル的要素だけになってしまったのだと直感した。そう見ているうちに、そのコードが急に活気を帯びてきたように見えた。というのは、それがキラメキを増し始め、奮い立つように私の方へ向けて脈打ち始めたのである。そして、その勢いでついに肉体から分離し、一つの光の玉のように丸く縮まって、やがて、既に私が宿っている霊体の中に吸い込まれてしまった。これで私の死の全過程が終了した。私は肉体という名の身体から永遠に解放されたのである。

   近藤千雄『シルバーバーチに最敬礼』コスモス・ライブラリー、2006、pp.84-87
     (同書[資料]:ジョン・レナード『スピリチュアリズムの真髄』より抜粋)





 b-37 (英国の新聞王であったノースクリフ卿からの霊界通信)

  (世界的に有名な日刊紙Daily Mail を創刊し、80種類を超える雑誌を出版したノースクリフ卿は、1865年にアイルランドに生まれ、1922年に57歳でロンドンで没している。ここに出てくる「女史」は、ノースクリフ卿の秘書として20年間も側近の一人として仕えてきたルイーズ・オーエン女史のことである。)

 死んだことを今では喜んでいます。手がけていた仕事が完了していなかったので、最初は無念でなりませんでしたが、あの頃は骨の髄まで疲れていました。半端な疲れではありませんでした。しゃべろうとしても言葉が出ず、考えようとしても頭が混乱し、書こうとしても文章がまとまらず、全てがこんがらがっていました。

 女史付記―ノースクリフの命を奪ったのは過労で、最後は思考力に混乱をきたしていた。ヨーロッパ大陸から送られてきた最後の記事は確かに混乱していて、いつも愛読していた読者はそのおかしさにすぐに気がついたらしい。

 あのまま死なずにいたら、健康を回復することはなかったでしょう。間違いありません。今はすっかり元気になりました。完全な健康体です。晩年は筋肉がたるみ、締まりがなくなっていくのが分かりましたが、今はしっかりとして元気いっぱいです。
 歯もちゃんとありますよ。きれいに揃っています。私が歯のことで悩んでいたことは、君がいちばんよく知っているでしょう。よく悪態をついものです。また、あの咳も出なくなり、喉の痛みも消えました。
 生前私は、死んだら風にふわりとなびく衣装をまとってフワフワと宙に浮いているくらいに想像していましたが、とんでもない、実に実在感があります。爪もありますよ。今身にまとっているのは、君もよく見たグレーのスーツ(フラノ)です。肌も実にきれいです。しっくりとして気持がいいです。病気をすることもなく、ケガをすることもなく、陰鬱になることもありません。おカネなんか要りません。物を自分で創り出すのです。スーツも自分でこしらえました。
 地上では私が忙し過ぎて、やりたいことができないので気の毒な人間のように言われていました。それで神経的に参ったようですが、君は違ってたね。楽天的なところがあって、落ち込んでもすぐまた快活になったからね。
 死ぬ二、三か月前は宗教にについて深く考えました。もう二度と地上へ戻りたいとは思いません。今は実に幸せです。することが幾らでもあります。いろいろと指導してくださる人が大勢います。とくにウィリアムやキングズレーから多くを教わりました。

 女史付記― ウィリアムというのは側近の一人でパリ支局の総局長だったウィリアム・マカルパィンであろう。またキングズレーというのはコナン・ドイル卿の息子であることは間違いない。第一次世界大戦で戦死している。

 今にして思えば、君の忠言を聞いて長期の旅行へ行かなければ良かったのかもしれません。少なくともこんなに早く死ぬことはなかったかも知れません。が、今となっては五十歩百歩でしょう。

 女史付記― 私には病的症状が見えていたので、気分転換の旅行に行くよりは自宅でのんびりした方が良いと、個人的な意見として忠告した。

 母親の傍に行ってみることがありますが、どことなく私の存在を感じるようです。が、健康状態が気がかりです。
 心霊科学研究所とは接触を続けてください。まだまだ学ぶべきことが沢山あります。私も援助しましょう。
 君が僕の墓地にいつも持ってきてくれる、あのピンクの花、あれはいいね。だけど、もう墓参りはしなくていいよ。墓地というのは死骸と同じで、何の意味もない。どうせ花を飾るなら君の部屋に飾って欲しい。あの部屋にはよくお邪魔しているよ。花があると気持がいいね。君もこちらへ来たら案内してあげるが、現在のボクの住居は田舎にあるよ。都会はごめんだな。ゴチャゴチャして日当りが悪くて……今住んでるところは建物はきれいだし、花や小鳥がいっぱいいてね。すっかり気に入っているよ。温室まであるよ。地上でも大自然が好きだったことは君もよく知ってると思う。
 記事を書くときに鉛筆の芯をなめるのは止めたまえ。どうせ口に入れるのならイチジクにでもしたらどうかな。土曜日に君が同僚といっしょにいるところを訪れたら、ちょうどイチジクを食べているところだった。ボクがイチジクが大好きだったことを同僚に言ってたが、ボクがわざと「そのイチジクはまだ熟してないぞ」とキミに吹き込んだら、それが通じたみたいだね。こっちへ来ても相変わらずイタズラをやってるよ。

 女史付記― その二、三日前の土曜日にカンタベリーの同僚の家までクルマで行った時にイチジクを買って行った。「ノースクリフはイチジクが大好きだったわね」と言いながら食べようとしたら、なぜか「これはダメだ、まだ熟してないみたい」という言葉が出た。が、食べてみたらよく熟していた。

 さようならを言うつもりはないよ、また来るから。キミにはやってもらいたいことが山ほどあることを忘れないでくれ。スタミナと活力を温存しておいてほしい。
 パワー(交霊会で使われ霊的なエネルギー)が切れてきたみたいだ。が、これでさよならにはならないよ。また出るから。では、元気でな。

 以上の交霊会の記事が日曜新聞The Peopleの第一面のトップに三段抜きで掲載された。その見出しはこうだった。

   ノースクリフ卿、墓場の向こうからメッセージを発信
    「国際連合のために働く人々に応援を」
     秘書が明かす驚異的交霊現象

 (この記事は発行前から世界中で抜き刷りされるほどの注目を浴びた。発行当日にはオーストラレーシア海外通信社[オーストラレーシアはオーストラリアと付近の諸島の総称−訳者]の若い記者が訪れ、「オーストラリアに発信したいので」校正刷りを見せてほしいという。その記者は記事の重要性を認識していたのである。)

    近藤千雄『シルバーバーチに最敬礼』コスモス・ライブラリー、2006、pp.169-173
      (同書文献:ハネン・スワッファー『あの世から帰ってきた英国の新聞王・ノースクリフ』より抜粋)





 b-38 (英国の新聞王ノースクリフ卿が霊界から死後の状況を語る)

 (ここに紹介するのはノースクリフと名のる霊が本教会における交霊会で語った最近の霊言である。我々としては“当人”であることの真実性を疑う理由は何もない。その霊が、交霊会を主催する高級霊(指導霊)の許しを得て語り、我々はそれに一切の手を加えずに掲載する。読者がそれを真実のものとして受け入れようが拒否しようが、それは自由である。我々としては、霊界から送られたものをそのまま地上界に届けるだけである。ノースクリフと名のる霊からの通信は他にも幾つかあるが、これは本人が「死」の過程で経験したことを是非とも伝えたいとの要望にこたえて語ってもらったもので、十二人を超える霊的経験豊かな出席者の前で、深いトランス状態の青年霊媒を通して得られたものである。)

 私は説明しようのない風変わりな家屋で目を覚ましました。部屋の壁は一面の花盛りで、ありとあらゆる種類の花が咲いています。屋根はあるにはあるのですが、なぜか突き抜けて空が見えるのです。やがて意識がはっきりしてきて、それと同時に幸福感が湧いてきました。無上の喜びを感じ始めました。
 地上生活につきものの制約が何もないように思えました。立ち上がって外へ出ました。すると地上では想像もつかないような風采の男に出会いました。ひどくハデな色彩のロープをまとっていて、私はこれが天使なのかと思いながら近づいて、地上でやり慣れた形の挨拶をしました。するとその人は私の肩に手を置いて、じっと私の目を見つめるのです。それでやっと気がつきました。地上で親しくしていたエリス・パウエルで、今夜ここへ案内してくれたのも彼です。
 彼と会うなんて思っても見なかったことですし、ただただ驚くばかりでした。私は彼の手を握り、再会を喜びあいました。彼は死後の世界の素晴らしさについて語ってから、私の肩を抱えるようにして歩道を通り、丘を登って行きました。あたり一面が緑に輝き、小鳥がさえずり、花が咲き乱れ、動物も見かけました。
 丘の頂上に登ってから振り向くと、下の方に聖堂が目に入りました。言葉では説明しようのない荘厳なもので、それを見ながらパウエルが、あそこでいつかまた会うことになっていると述べました。
 その後も多くの新しい体験をしました。私の想像力を超えたことばかりでした。こちらにも青空があるのです。太陽も見えております。が、イヤなものがないのです。全てが良いものばかりです。中でも心を打たれたのは潮の美しさです。その水は「いのちの水」だと教わりました。水そのものが生き物なのです。その湖のほとりに立って辺りを見回すと、かつて味わったことのない安らぎを覚えます。
 魂の目が開かれたのでしょう。もう一度地上界に生まれ出たら、どんなにか価値ある生活が送れるだろうにと思います。天国は物的なものから生まれるのではありません。地上界へ霊的真理をもたらさねばならないという声をよく聞きます。が、人間が魂の目を開いて真理を悟りさえすれば、霊界から働きかける必要はないのです。
 そろそろ行かねばなりません。また参ります。おやすみ、皆さん。

 社の者みんながこれを読んだ。繰り返し読んだ。間違いなく二〇回は読み返したであろう。そして私はこう言った――
 「おいおい、考えて見ろよ。ボスは天国へ行っても記事を送ってくれたよ。だが、なぜここへ寄こさずにフォレスト・ヒルなんかに送るんだよ。ポターなんて我々がまったく知らない人間じゃないか。そんなヤツになぜ自分の人生の最大の物語を話すのかな。それも、二年近くも前のことだよ」
 悲しいかな、その頃の私はスピリチュアリズムというものについて、その名前しか知らなかった。霊界から通信がほとんど毎時間――大げさではなく世界中のどこかで一時間に一回の割で地上界へ届けられていることなど、思いもよらなかった。
 さらにまた、そんなことをうっかり口にすると嘲笑の的にされるので、その真実性を確信している人でも、なるべくなら口外することを控え、理解している人たちの間だけでヒソヒソと語り合っていること、出版するとしても、できるだけ控え目な形にしていることも知らずに、我々ジャーナリストこそ世論をリードする知性派の最先端のつもりでいながら、その実、肝心なことは何一つ知らずにいたのである。

   近藤千雄『シルバーバーチに最敬礼』コスモス・ライブラリー、2006、pp.179-182
    (同書文献:ハネン・スワッファー『あの世から帰ってきた英国の新聞王・ノースクリフ』より抜粋)





 b-39 (かつての新聞王ノースクリフ卿が語る霊界の生活)

 (一九二三年五月三日木曜日の夜の交霊会で最初に出現した霊について、司会者[審神者(さにわ)]が「初めての方のようです」と述べたが、いよいよ霊媒の口をついて出た言葉は「前に一度出たことがあります。ノースクリフです」だった。我々も挨拶し、その後の霊界での進歩について質問すると――)

 地上界でいう進歩とはいささか異なるようです。“進歩”という用語に新たな解釈を施さねばならないことを知りました。というのは、全ての魂が常に進歩しており、誰一人として進歩を停止することはないからです。各自の人生に置ける一つ一つ行為が、“永遠の旅”という名の梯子の一つ一つの段であることを学びました。高次元の世界から見下ろしている高級霊の視点からすれば“退歩”というものは有り得ないことに理解が行ったのです。
 高い界にいる者と低い界にいる者とを比較する限りでは、それぞれの視点での認識の仕方から、進歩しているとか退歩したといった表現になりますが、神の目から見れば退歩するということはなく、すべての者が進歩しているのです。次元の高い界の霊も低い界の霊も、それぞれの次元で魂を磨くことを目標としているのです。自分で自分の家をこしらえているようなものです。単なる動物的存在だった魂の霊性を発達をさせているのです。上昇するのも下降するのも、私には同じことのように思えます。見ていて楽しいものです。
 私はその後もずっとあなた方の出版物「スピリチュアル・トゥルース」に関わっています。私が編集室にいるところを何人かの人が霊視したというのは事実です。確かにあなた方の傍にいました。
 死後、地上で私が始めた出版事業にこちらから影響力を行使しようと思ったことがありましたが、うまく行かないことが分かりました。悲しいかな、アレではダメです。根本から大改革が必要です。基本理念を改めないといけません。
 が、現在の私には、もはや手が届きません。考えてもごらんなさい。若くして私が創業し、何十年もかけて育て上げ、現在の地歩を固めたのです。それをすべて地上に置き去りにして来たのです。すべてを失ったと言って良いでしょう。
 考えでもみてください。自分の人生を自分一人の手で建ち上げたのです。自分の進むべき道を若くして方向づけて、その道をまっしぐらに進みました。朝も昼も晩も休みなく働き、社内で寝起きする毎日でした。そういう仕事から離れることは悪魔に誘われるような気がしたものです。そして死……
 同じ会社にいるのに何一つ手出しができません。何の影響力も行使できません。社員に命令しても知らん顔をしています。それまでやってきた仕事がまったくできません。言わば迷える霊となってしまいました。そこへ、皆さんが出しておられる教区誌の仕事が与えられました。生前の新聞の編集に比べればチャチなものですが、私に欠けていたものを埋めてくれることになりました。これだ、自分の魂はこれを求めていたのだ、と思いました。それまではまり込んでいた轍から少しずつ脱け出ていきました。
 これからの皆さんのお仕事の成功を祈っております。ふたたびこの場に出させていただいて嬉しく思います。私の理解はまだまだ皆さんには及びませんが、今の私の霊眼に映じる限りでは、皆さんの想像も及ばないほどの成功が待ち受けております。その実現を期待しております。

     *****

 以上の記事を私は一気に読んだ。その後も何回も読み返し、これまでに五〇回は読んだであろう。それまで私は、そこに述べられていることが本当の死後の世界からのメッセージであるとは信じなかった。が、あのボスが別の次元から戻ってきて必死に我々生前の仲間たちに語りかけている様子を想像してみた。そしてロンドンの一角のくすんだ印刷室でしろうと臭いやり方で編集・発行に取り組んでいる作業員に付きっきりで助言している様子を思い浮かべると、地上の大規模な新聞社で指揮していたボスとの違いに同情を禁じ得なかった。
 ところが社にはその後も「ボスからの通信はもうないのか」という問い合わせが次々と来ていた。初めの内は我々は小ばかにして、まともに取り合わなかった。が、そのうち、時おり、「本当に有り得ないだろうか」という疑念が湧くようになった。そして私はポター氏に電話で話をしてみる気になった。
 新聞人は相手かまわず電話を掛けまくるクセがある。私も、どうせ耄碌しかかった髭もじゃのご老体だろうくらいにしか想像していなかった。ところが実際の耳で聞いた声から判断する限りでは、率直で、妙に謙虚で、どこか崇高な存在に話し掛けている感じがした。

  近藤千雄『シルバーバーチに最敬礼』コスモス・ライブラリー、2006、pp.182-185
    (文献:ハネン・スワッファー『あの世から帰ってきた英国の新聞王・ノースクリフ』より抜粋)





 b-40 (新聞は国民のものと主張する霊界のノースクリフ卿)

 サークルのメンバーからのいろんな質問に答えたあと、「こちら(霊界)では“現代”という時を最大限に活用します。“未来”のための“現在”を生きているのです。地上界もそうならないといけません」と述べた。その頃はどうやら霊界でも組織の再編成が行なわれていたらしく、地上界へ届けるメッセージにも変化が出てきた。その間ノースクリフは出る機会がなく、次に出たのは翌年一九二三年五月三日の木曜日だった。
 その後ノースクリフは五月十日、十七日と出て、次に出たのは八月二十日だった。メンバーの一人から「前回おっしゃりたかったのは教義とか道義の問題でしょうか?」と問われて、次のように答えた。

 教義のことですよ。キリスト教にも教義があるではありませんか。倫理・道徳の問題に関しては私には言う資格はありません。私は新聞社の経営者です――いや、ついこの間までそうでした。どうぞ質問なさる時はそのことを念頭においてください。私の倫理・道徳観はすっかり変わりました。とても語り尽くせません。それを実践的に体得するまでには至っているかどうか、自分でも分かりません。こちらへ来てから視野の地平線が果てしなく広がっております。

 次に出現したのはほぼ一年後の一九二四年七月二十四日で、およそ次のように述べた。

 また出られて嬉しく思います。今日申し上げたいのは、俗世のことに関わるのはよろしいが、ジャーナリズムだけは避けなさいということです。こちらへ来て地上界を見ておりますと、ますますその感を強くします。[ここでは新聞・雑誌による情報のことであるが、現在ではテレビやコンピュータ、中でもインターネットなどを媒体として無選別で入り込んでくるので、メリットと同時にデメリットも当時とは比較にならないほど多い―訳者]
 もちろんジャーナリズム界全体が悪いとは言いませんが、一部の偏向したジャーナリストの存在は国家にとって害毒となります。地上界の報道記事を見ておりますと、知性をもつ人間がよくもこんなものが読めるものだと呆れます。
 ジャーナリズムはすでに最盛期を終えました。現代を象徴するプラカードが幻影であることを知る時が遠からず来ます。そして“センス”が“ナンセンス”に取って代わります。教養至上主義の文明がこれ以上はびこるとは思えません。いずれ満腹の時代が来て、不消化とともに飽きが来ます。
 現今の地上界の実情にはイライラさせられますが、私が何よりも望んでいるのは、新聞が国民の持ち物となることです。つまり、一部の人間のイデオロギーやポリシーを国民に押しつけるのではなく、ニュースと思想をあるがままに一般国民に伝達することです。現在の新聞はどちらも伝達しておりません。
 現在の新聞は、一方では、センセーショナルではあってもナンセンスな話題ばかりを報道しております。実は私も最初のうちはそうでした。が、その後私自身はその弊害に気づいて、永続性のある価値ある話題に切り替えました。他方、地上界は不道徳がはびこり、霊性が欠如しております。新聞は国民の所有物であるべきです。金と権力にものを言わせる者が濁流に呑み込まれる時代が来るでしょう。皆さん、おやすみ。

 それから数週間後に出現した時は雰囲気がすっかり変わっていた。

 皆さん、今晩は。前回お話した時から随分になるような気がします。今では地上界のことは遠い記憶、もっと正確に言えば“悪い夢”のようなものになってしまいました。ほとんど忘れておりますし、思い出したいとも思いません。現在の霊界での生活には、もはや何の関わりもなくなりました。もう必要もなくなったと言って良いでしょう。しいて善意に解釈すれば、これからの生活で二度と犯してはならないという警告のようなものです。
 私は今ようやく勉強を始めたところです。“始めたところ”と言いましたが、正直いってこちらへ来てから見ること聞くことすべてが新しいことばかりで、何世紀という時間が風に吹かれたもみ殻のように、あっさりと吹き飛んでしまいます。ですから、私は皆さんに何かを教えたくて出てくるのではありません。現在の私の考えを述べているだけで、時がたてば変わるかもしれません。摂理は一度には学べません。どこを見ても学ぶべきことばかりで、水平線が広がるにつれて、いくらでも学ぶべきことがあることを思い知らされることの連続です。
 私は古い自分を“殺す”ことができるようになりました。古い自分を抑え込み、新しい自我を表面に出すことに努力しているところです。自我というものがやっと分かるようになりました。今になって分かるのですが、地上時代の自我は型にはまって一歩も進歩していませんでした。しかし、今やっと私はその型を切り崩し、バリアを取り払い、霊的向上のスタートラインに立ちました。これは地上時代のいかなる発見にも勝る大きな発見です。古い自我を葬り去って、新しく生まれ変わるのです。では、おやすみ。

 こうした一連のメッセージが、初めてサークルに出席した時と同じ霊媒クリフォード・ポターの口をついて出たのである。声は確かに若いクリフォードの声に違いないが、話し振りは間違いなくあのボスである。もっとも、サークルのメンバーにとってはノースクリフという人物は言わばどうでもよい霊であったろう。他にいくらでも素晴らしい馴染みの霊がいたのである。が、ポター氏は綿密に書き取ってくれていた。しかも、他界した一九二二年八月十四日の夜にすでに出現していて、ポター氏は親切にもその事実をDaily Mail社に送ってくれていたのである。
 が、当然のことながら編集部はそれを無視した。仮に私がデイリー・メールの主幹であったとしても無視したであろう。そして、今思うに、ポダー氏も無視されることを念頭においていたことであろう。

   近藤千雄『シルバーバーチに最敬礼』コスモス・ライブラリー、2006、pp.196-200
     (同書[文献]:ハネン・スワッファー『あの世から帰ってきた英国の新聞王・ノースクリフ』より抜粋)